10勝利1000安打目前!ヤクルト・雄平、惜しまれながらの引退。

NPB 東京ヤクルトスワローズ

2021年9月30日。東京ヤクルトスワローズ雄平選手(本名:高井雄平)の現役引退が発表された。19年間という長い間、スワローズ一筋の現役生活で、非常にファンに愛されていた選手だった。

投手として鳴り物入りで入団したものの、中々殻を破る事が出来ずに野手転向。2014年にはレギュラーに定着し、ベストナインやオフの侍ジャパン強化試合にて、代表に選出されるなど、球界を代表する選手に成長した。
そして、投手としても一定期間試合に出場したこともあり、投手として18勝野手として881安打を放ち、史上8人目の10勝利&1000安打にあと一歩のところだった。
これはメジャーリーグロサンゼルス・エンゼルス大谷翔平の様な、年間を通しての二刀流ではないが、過去達成者が少ない事を考慮すれば、投打で成績を残した二刀流選手とだった言っても良いのではないか?そして、もし達成出来ていれば、これはドラフト制以降初の快挙だった。

ヤクルト・雄平の経歴

投手時代

雄平は、東北高校から2002年のドラフト会議において、大阪近鉄バファローズと1位指名で競合した末にスワローズへ入団。最速151キロ左腕として他球団からも高い評価を受けての入団だったが、当時から野手としての評価も高かった。
1年目の2003年から1軍での登板機会を与えられ、5勝6敗102回を投げ80奪三振高卒ルーキーとしては上々のスタートを切るが、その一方で与四死球63暴投12と制球難も露呈する。
結局先発としてはルーキーイヤーがキャリアハイとなり、2004年、2005年に4勝ずつ上げるも、2006年からリリーフ転向。2007年にはキャリアハイとなる52試合に登板し、12ホールド1セーブを上げるも、43.1回24四球、防御率5.19と信頼を得るまでには至らず、以後登板機会を失っていく。

野手時代

元々野手としての素質も高く評価されていたことから、2010年に外野手転向
2012年には野手として1軍初安打を記録し、2013年には序盤、レギュラーの座を掴みかけるもケガで離脱するが13試合で2本塁打打率.297を記録する。
そして2014年。2番センターで開幕スタメンに名を連ねると初のフルシーズン1軍で141試合に出場。23本塁打90打点.316を記録しレギュラーの座を手中に収める。さらには初のオールスターゲーム出場ベストナインにも選出され、キャリアハイの成績を残した。

翌2015年は、開幕前に行われた「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン対欧州代表」にて初めて侍ジャパンに召集され、代表入りを果たす。この年は8本塁打60打点.270と成績を落とすも、10月2日神宮球場での阪神戦、延長11回に能見篤史投手からリーグ優勝を決めるサヨナラタイムリーヒットを放ち、キャリアのハイライトともいえる瞬間であった。
その後、故障もありやや成績を落とすも、2018年には打率.319を記録し復活。年俸も初めて大台の1億円を突破する。
しかし2020年はレギュラー定着後ワーストとなる43試合出場、0本塁打9打点.223と低迷。出塁率や長打率も軒並み2割台と落ち込むと2021年は1軍出場無し。2軍でも4本22打点.213と数字を残せず、惜しまれながらの引退となった。

通算10勝&1000安打

難しい1勝&1000安打

投手としては大成出来なかったとはいえ、7年で144試合に登板。18勝19敗17ホールド1セーブ297.1回265奪三振という成績を残している。さらに野手としては通算881安打66本塁打386打点を上げている。
近年でも投手から野手に転向し、大成した選手も多いが、勝利投手にもなり、かつ安打を打っている選手はそう多くない。
投手出身で通算2000本安打を達成している福浦和也氏(元千葉ロッテ)や1717安打で現役の糸井嘉男選手(阪神)は、1軍での登板機会が無い。
また通算868安打首位打者も獲得している嶋重宜氏(元広島東洋)は1軍2試合に登板しているが未勝利。通算1142安打愛甲猛氏(元ロッテ中日)は1年目から先発登板し、1983年にはリリーフとして48試合に登板するものの勝ち星には恵まれず通算で0勝2敗。惜しくも1勝1000安打の記録を逃した。
ドラフト制以降、1軍で1勝あげ1000安打以上を放ったのは1勝2432安打石井琢朗氏(元横浜広島)ただ一人しかおらず、また1勝&2000安打もプロ野球史上、打撃の神様と言われた伝説の選手、巨人軍川上哲治氏と2人しかいない大記録だ。

プロ野球史上に7人しかいない10勝&1000安打

  • 西沢道夫(1937-1958年 中日・金星 等)60勝1717安打
  • 野口明(1936-1956年 阪急・中日 等)49勝1169安打
  • 藤村富美男(1936-1958年 阪神)34勝1694安打
  • 呉昌征(1937-1957年 巨人・毎日 等)15勝1326安打
  • 川上哲治(1938-1958年 巨人)11勝2351安打
  • 田宮謙次郎(1949-1963年 大阪・大毎)12勝1427安打
  • 関根潤三(1950-1965年 近鉄・巨人)65勝1137安打

7人全選手が、まだ二刀流選手が活躍していた戦前から戦後にかけての選手たちであり、もし雄平が記録達成となればドラフト制以降では史上初の快挙だった。
前述した川上哲治をはじめ、初代ミスター・タイガース藤村富美男初代ミスター・ドラゴンズ西沢道夫最多勝経験もある野口明
台湾出身の呉昌征は投手としての実働は1946年のほぼ1年だけだが、戦後初のノーヒットノーランを含む14勝を上げる一方で、野手としても113安打を放った二刀流。
田宮謙次郎は新人の1949年に11勝。外野手に転向後の1958年には、あの長嶋茂雄ルーキー三冠王を阻む.320首位打者を獲得している。
関根潤三は7人の中では最多の65勝。野手に転向後は毎年3割前後の打率を残し、史上初投手と野手、両方でオールスター出場を果たした選手となった。(後に大谷翔平が2人目として達成)

ドラフト制以降の主な投手&野手経験者

  • 遠山奬志(1986-2002年 阪神 千葉ロッテ)16勝14安打
  • 外山義明(1970-1977年 ヤクルト・南海等)9勝85安打
  • 畠山準(1983-1999年 南海・横浜)6勝483安打

最も投打で成績を残しているのは畠山準だろう。
1983年に入団し、1984年には規定投球回に達する153回を投げ5勝を上げた一方で、1988年に野手転向後はしばらく結果が出なかったが、大洋に移籍後の1993年には14本塁打72打点.281で初めて規定打席に到達。これによりドラフト制以降初の規定投球回・規定打席の両方に到達した選手となった。
外山義明は、投打共に目立った成績は残せていないが1970年から2年連続で100回以上を投げ、1971年には後に大谷翔平が達成する前に「1番・投手」として先発している。
遠山奬志は投手→野手→投手と転向し、野手であった期間は1995-1997年の3シーズンのみでその間打ったヒットは3本のみ。投手としては1年目から128回を投げ8勝。1988年には42試合に登板するなどリリーフとして活躍したが、左肩痛によりロッテ時代の1995年に野手転向。
1998年に阪神に復帰し、再び投手に転向すると、1999年に監督に就任した野村克也氏に見いだ出され、ワンポイントリリーフとして活躍。特に遠山が登板後1塁守備につき、同じリリーバーの葛西稔と交互に登板する「遠山-葛西-遠山」のリレーは、この時代の名シーンと言ってもいいだろう。
また後にMLBヤンキースでも活躍する松井秀喜氏に対して、通算13打数ノーヒットに抑えるなど大活躍。3年連続50試合以上の登板を果たす。勝ち星は少なかったが、通算393試合に登板した。

しかし上記の通り、雄平のように2桁勝利&3桁安打を達成した選手はいない。
このように投手から野手に転向した選手の中でも、雄平の記録は特出しているのが分かる。

「例外」大谷翔平

最後に二刀流と言えば大谷翔平に触れないわけにもいかないが、もはやこの選手の説明は不要だろう。
現代で唯一、投打での二刀流の成功者と言ってもいい、大谷翔平。2021年シーズンは、投手として9勝2敗130.1回156奪三振。野手としては打率こそ.257とやや低調だったものの、138安打46本塁打100打点26盗塁と、まさにベーブ・ルースの再来と言われるに相応しい、異次元の活躍をし、MVPの筆頭候補と言われている。
大谷の2021年までの9シーズンで積み上げた日米での勝利数は55勝。そして安打数は666安打。これはドラフト制以降、投打ともに経験した日本人選手での中では1位の勝利数で、安打数も雄平に次ぐ2位である。勝利数では既に雄平を上回っており、安打数でも213本差で、健康体を維持できるのならば、2023年には雄平の数を上回るだろう。
また、ドラフト制以前の選手の中でも、勝利数13位タイ安打数10位の記録で、今後も二刀流を継続する限り、順位をされに上げていくだろう。
やはり大谷翔平だけは別格である。

惜しまれる引退

2020年のシーズンは特殊なシーズンであり、調整も苦労する選手も多かったのではないか。雄平も120試合中わずか43試合の出場で、23安打0本塁打9打点打率/出塁率/長打率のスラッシュラインは.223/.265/262とレギュラー定着以降最低の数字でもあるが、ここまで成績が下降するとは想像もつかなかった。そして今季の成績は前述した通りだが、1軍に一度も上がれなかったのも、数字だけ見れば納得出来る。
しかしながら、昨年が通常通り開幕していれば、今年少しでも一軍でプレーしてキッカケを掴めれば、1000安打も可能だったのでは?とと思わずにはいられない。
史上8人目の大記録は逃したが、それでも歴代のレジェンドたちに肩を並べる寸前までいったのだから、結果オーライともいうべき記録かもしれないが、とても素晴らしい記録だと、個人的には思う。
投手と野手を1軍でプレーしたという貴重な経験を、引退後、どのように生かすのか、どのように我々に見せてくれるのか、今後の雄平の活躍が楽しみでもある。

編集後記

高校生の頃、初めてヤクルトスワローズの2軍球場でもある、戸田球場に行きました。地元、栃木高校球界の150キロ右腕、泉正義さん(宇都宮学園ヤクルト)も見たかったのですが、最大のお目当てはドラフト1位ルーキー高井雄平選手でした。まだスマホもなかった頃、自宅のパソコンでプリントアウトした時刻表を片手に、辿り着けるか不安になりながら向かったのを覚えています。
印象に残っている姿は、ファンの方を大切にする姿です。試合前や練習の後など、サインや写真撮影に応じている雄平さんの姿を良く見かけました。かく言う私もファンサービスをしていただいていた一人ですが、雄平さんがサインや写真を断っているところを見たことがありません。ここまでファンの方々に親切にしてくれる選手も中々いないのではないでしょうか。そして雄平さんを語るうえで欠かせないのが、2015年のリーグ優勝を決めたサヨナラタイムリーですね。当日は自宅観戦でしたが、打った瞬間、おもわず大声を出してしまい、一人で盛り上がってしまいました。
思い入れのある選手が引退してしまうのは寂しいですが、またユニフォーム姿の雄平さんを神宮で見られるのを、心待ちにしております。
19年間お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。


(記録参考:Wikipedia)

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