村上、王貞治への挑戦!868号の記録更新は可能か?

NPB 村上宗隆 東京ヤクルトスワローズ

今シーズン4年目を迎える、東京ヤクルトスワローズ村上宗隆選手。
今シーズンは史上最年少での100号本塁打も期待出来るが、将来、王貞治氏の868本塁打の記録を更新できる可能性はあるのだろうか?

高卒2年目でレギュラーを獲得し、36本塁打を放った若き主砲。早くから長距離砲として覚醒し40本近くの本塁打を放つ選手を見て、868号の記録更新の夢を見ずにはいられない。
今回は王貞治氏、そして松井秀喜氏の2人の偉大なスラッガーと比較し、その可能性を検証してみたい。

それぞれのキャリア

村上宗隆

九州学院高等学校から2018年度のドラフト1位でプロ入り。2軍で17本塁打73打点16盗塁.288を記録し、1軍昇格後もプロ初打席で初本塁打。1年目はこの1本に終わったが、2年目はチーム事情もあり開幕からスタメン出場。打率は2割台前半と苦戦するも36本塁打を放ち、新人王を獲得する。そして3年目は、120試合制の短縮シーズンとなるも、28本86打点.307と、タイトル獲得とはならなかったが、あわや三冠王という活躍だった。
そして2021年は残り35本となった、最年少通算100号本塁打への期待もかかる(村上宗隆は清原和博を越えられるか?~最年少100号本塁打への挑戦~

王貞治

読売ジャイアンツに入団した王貞治は、新人だった1959年からレギュラー格として試合に出場し7本塁打。そして2年目に17本、3年目に13本と2桁本塁打を放ち、通算37本塁打。高卒新人としては上々の出だと思うが、球団の期待からは遠いものだったようだ。
そして1962年、王氏の代名詞とも言える「一本足打法」に打撃フォームを改造し、覚醒。4年目にキャリアハイを大幅に更新する38本塁打を記録し、本塁打打点2冠王を獲得。さらに64年には当時のシーズン記録となる55本塁打。そして1977年にはMLB記録であったハンク・アーロンの755号を更新する756号本塁打を記録た。
通算でも50本以上の年が3度、40本以上が10度、13年連続を含む15度の本塁打王を獲得し、通算ではNPB記録の868本塁打を放った。また4年目以降、引退するまでの19年間、30本を下回る年はなかった。
また、本塁打以外でも打点や得点、OPSでも歴代最高を記録しており、正にNPB史上、最高の打者であったと言えるだろう。

松井秀喜

ドラフトで4球団競合の末、読売ジャイアンツに入団した松井秀喜氏は、長嶋茂雄監督(当時)からの英才教育を受け、主にルーキーイヤーの後半から活躍。セ・リーグの高卒新人記録となる11本塁打を記録。そして2年目には早くも20本塁打を記録。さらに3年目にも22本を放ち、巨人軍の3番打者として定着する。そして王氏と同様に4年目に覚醒し、38本塁打を放つ。打撃タイトル獲得とはならなかったものの、MVPを受賞し以降タイトル争いの常連となる。NPBのキャリアでは本塁打、打点とも3度のタイトルを獲得し、NPB最終年となる2002年には50本塁打を放ち、翌年以降フィールドをMLBに移す。
名門ニューヨーク・ヤンキースに移籍した、MLB初年度は16本塁打とNPB時代に比べると、パワーレスな印象を残したが、翌年はMLBキャリアハイの31本塁打。以後、20本以上のシーズンを4度記録し、MLB通算175本塁打。NPB通算332本と合わせて、キャリア通算で507本の本塁打を記録した。

通算本塁打数推移

1~6年目

王は4年目までを見ると通算75本。対して松井は91本と出だしは、松井が上回っていた。村上も3年で65本を放っており、昨年の15.14という本塁打率から見ても、500打数で33本塁打が見込めるので、松井と同等のペースに見える。また上述のように、清原和博最年少100号本塁打の記録更新も狙える位置にいる。
しかし王は5年目に初の40本を記録し、翌年は55本と一気にペースを上げ、6年通算の本塁打数は170本。松井の162本を抜き去った。ただ松井も4年目からは、38、37、34本と順調に数を重ねている。
村上が王のペースに肩を並べるならば、今シーズンからの3年間、平均35本の本塁打ペースが求められる。

7~10年目

7~10年目までを見ると、王は4年連続40本以上。しかも42、48、47、49本と、8年目以降は50本に迫る本塁打を記録している。
一方の松井も7年目には初の40本台を記録し、翌年も42本。10年目には初のシーズン50本塁打を記録した。
この時点での通算記録は王が356本、松井が332本と、その差は僅か24本だった。
この4年間の両者の平均本塁打数は王が46.5、松井が42.5と40本を越えている。村上もこの時点で毎年40本以上のペースが求められる事になってくる。さらに王のペースに並ぶならば年平均45本の本塁打が必要になってくる。また、王も松井も10年目までにはシーズン50本を1度記録しており、そのレベルに到達することが求められるだろう。

11年目以降

松井はMLBへ移籍してから本塁打のペースが一気に落ちた。「メジャーでは中距離打者」と本人が話していたように、パワーの面ではMLBの強打者たちと同等とはいかなかった。30本以上も1度だけと、単純な本塁打数で言えば数は少なくなったが、クラッチヒットを連発し、塁上の走者を一掃することから、パックマンとニックネームをつけられるほど、ヤンキースにとって欠かせない打者となった。またヤンキース在籍最終年には念願のワールドシリーズ制覇を果たし、アジア人初のワールドシリーズMVPにも輝くなど、印象に残る活躍をした。
しかし、NPB在籍最終年に50本打っており、その後の活躍を見ても、キャリアの全盛期が7年ほど続いたと考えると、王の記録に迫る数の本塁打が打てたのではないかと考える方も多いだろう。
王は11年目以降も順調に本塁打を積み重ね、50本シーズン2回、40本以上が5回、8度の本塁打王を獲得するなど、ペースが衰えることなく、20年で805本塁打。最後の2年は全体的に成績を落としたが、引退年にも30本塁打を放つなど、最後の最後まで本塁打を打ち続けた。もしかしたら、もう少し現役を続けていけば1000号まで打てたのではないか…と思わせるほどだ。

MLB移籍後の松井はペースが徐々に緩やかになっているが、それまではほぼ同水準。村上は3年目までは2人を上回る。

600号の壁

NPBでは800本塁打どころか、600本塁打以上も王と野村克也氏(657本)の2人しか達成していない。歴代3位の門田博光氏は567本と2位との差は90本と差が開いている。
これから村上が本塁打記録に挑戦するには、常に年間40本以上打てるレベルになることが求められる。
また近年では、松井のようにFA権取得前後にMLBに移籍する選手も目立つ。そうなってくると、過去の日本人選手の成績を見ると、パワーの面で壁に当たることは、もはや必然となっているので、NPBと同様の本塁打ペースを維持することは難しくなり、記録達成はほぼ絶望的と言っていいだろう。

高まる期待

新人王を獲得した2年目に早くも36本塁打し、中西太氏と並ぶ、高卒2年目以内の最多本塁打記録を打ち立てた村上は、王や松井より早くシーズン40本を記録するかもしれない。
100号までのペースは村上の方が早そうだが、200号までは王、松井ともに7年目のシーズンで25歳3か月の歴代2位のペースで達成している。村上も200号まではこのペースに並んでいければ、記録達成の可能性が出てくるのではないか。
今シーズン4年目の選手に、868号の記録更新と言ってももピンとこない方が多いだろうが、その可能性を感じさせる選手に出会えることも、なかなか無い。
仮に今シーズン、史上最年少での100号本塁打を達成できれば、その現実味が少し帯びてくるのではないだろうか。

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データ参考「プロ野球データFreak」「NPB.jp 日本野球機構ak