タンザニア甲子園。~「野球不毛の地」アフリカにあるもう1つの甲子園~

タンザニア球界 タンザニア野球

2021年11月30日。
アフリカ野球界にビッグニュースが流れてきた。
アフリカのガーナタンザニアで代表監督経験もある友成晋也氏が代表を務める、一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構J-ABS
より、元読売ジャイアンツニューヨーク・ヤンキース松井秀喜氏がエグゼクティブ・ドリームパートナーに就任することが発表されたのだ。

アフリカ野球界には、これまで独立行政法人国際協力機構(JICA)によるボランティア隊員などにより、多くの日本人が発展に関わってきた。
2021年に行われた東京オリンピックには、残念ながらアフリカからの出場国は無かったが、大陸最終予選に残った4カ国の内、なんと3カ国が日本人監督になるなど、今でもアフリカ球界と日本の関係は強いと言っていいだろう。

しかし、言い方が悪くなってしまうが、これまで著名な野球人がアフリカ球界に関わることは少なく、上記の様なニュースも、ごく一部の国際野球ファンを除いてはあまり知られていない情報であっただろう。

それだけに今回の発表には驚かされた。
松井秀喜氏は、野球ファンだけでなく、多くの日本人に知られた存在である。また、彼がMLBで長く所属したニューヨークでは、未だ根強い人気を誇るという。これは宣伝という面からも大きな役割を果たすだろう。
今回の松井秀喜氏の就任で、アフリカ球界、中でもタンザニアという国が、大きく動き出すキッカケになるのではないか。

松井秀喜氏

もはや説明はいらないだろう。
コジラ」の愛称で親しまれ、日米通算507本塁打を放ち、MLBでは史上唯一の日本人選手によるワールドシリーズMVPを獲得しただけでなく、2013年には国民栄誉賞、2018年には日本野球殿堂入りを果たすなど、歴史的な選手であった。
ヤンキースGM特別アドバイザーに就任してからは、マイナー時代のアーロン・ジャッジゲーリー・サンチェスなど、後にチームの主力となる選手の指導も行っている。
wikipediaより

友成晋也氏

J-ABS HP内に詳しい経歴等は記載されているので、ここでは私が知る、友成晋也氏について少し述べさせていただきたい。
友成氏はガーナやタンザニアで代表監督を務め、戦火が消えて間もない南スーダンでも野球を広めた、言わばアフリカ野球の父だ。

JICA在籍中に「念のため」と思って、常に持っていたのが野球道具。念のためというのはJICA職員として現地に赴任していくため、野球は言わばプライベート。仕事以外の時間を使い野球を広めていったのだが、そこで使うのが友成さんが得意としているゲリラキャッチボールである。これは暇にしていそうな少年たちを見つけ、グローブとボールを渡し、とりあえずキャッチボールをしてみるというものだ。
そうしてキャッチボールをしているうちにメンバーが増えていき、じゃあ野球をやってみよう!と、こういう訳である。

友成氏が最初に赴任したガーナでは、既に日本人の方が広めており、野球自体はあったようだ。しかしタンザニアや南スーダンは野球が存在しない国。文字通り0から始めて今日まで発展させてきたのである。
私が個人的に思う友成氏のイメージはアフリカ野球発展に人生を捧げた人であるという事だ。
私は友成氏の野球に対する情熱と行動力を心より尊敬している。

実は私自身、まだご本人にお会いした事がなく、オンライン上やメッセージでのやり取りでしかコミュニケーションを取れていない。
これは知り合ったのがコロナ禍だったこともあるが、いつか直接お会いして、野球について語り合うのも私の1つの目標である。

タンザニア野球界

これまでの歩み

アフリカ野球発展のためには、タンザニアという国はキーになってくる国だと、個人的には考えている。そして松井氏の具体的な指導なども、タンザニアが最初になるのではと予想する。

タンザニアの野球が発展した背景には、教育と結びついたということがあげられる。

2012年に友成氏が野球を伝えた後、学校のモニタリングで「野球を始めた生徒の態度が変わり成績が向上した」という結果が見られたそうだ。
そしてその評判が評判を呼び、各地で野球を教えて欲しいとの依頼があり、その結果タンザニア全土へ野球が急速に普及していった。

タンザニア野球界でのスローガンは「Dispcipline規律)」「Respect尊重)」「Justice正義)」の3つからなっている。その野球とは「野球普及のため」と言うより「青少年育成のため」の野球という意味合いが強かった。
タンザニアでの野球は、人材育成のためのツールとして受け入れられた、という側面があったのだ。

また実力的には、2019年に行われた東京オリンピックアフリカ予選にも出場し、Zone Eastに組み込まれたが、ケニアに14-12、ウガンダに23-1と、残念ながら勝ち星を上げることなく敗退している。


技術的にはまだまだ発展途上の段階である。
なお、Zone Eastを勝ち上がり、大会2位になったウガンダも、最終予選では大会を制した南アフリカに18-0(予選総当たり)、27-0(決勝)と大敗している。
当面の目標は南アフリカに続く、アフリカ2位というところだろうか。

そして、タンザニア野球発展の中で欠かせない話が、タンザニア甲子園だ。

タンザニア甲子園

松井秀喜氏のメッセージ動画内にあった、アフリカの少年たちがプレーする球場にタンザニアのもがあった。それがタンザニア最大都市ダルエスサラームにある、ダルエスサラーム甲子園球場だ。
甲子園と聞いて、日本の野球ファンとして反応せずにはいられないだろう。
そう、この甲子園とは日本の阪神甲子園球場から来ている。(阪神甲子園球場より、使用の許諾も得ているようだ。)
このダルエスサラーム甲子園球場は、現地の方々と友成さんやボランティアスタッフ、日本企業などのサポートもあり、2018年に完成したばかりの球場だ。グラウンドにはベンチもありバックネット裏には観客席も設置されている。
これはタンザニアで唯一の野球場だ。
そして年に一度、甲子園大会も行われている。

それがタンザニア甲子園だ。

タンザニア甲子園。ダルエスサラーム甲子園球場。

バックネット裏席からの風景。

タンザニア甲子園。ダルエスサラーム甲子園球場。

3塁側ベンチ。

タンザニアに野球の火が灯ってから僅か2年後の2014年には、第1回タンザニア甲子園が開催された。
タンザニア甲子園は、本家・甲子園同様、各地域の代表チームがダルエスサラーム甲子園球場に集結し、優勝を目指す。
レベルは決して高くはないかもしれないが、野球に取り組む姿勢や熱量の高さは、胸に訴えるものがある。(「タンザニア甲子園」と検索すればYouTubeですぐにヒットするので、興味のある方は是非見ていただきたい。)

第1回大会から日本の支援とタンザニア野球連盟(通称:TABSA)の方の努力もあり、年に一度、大会は継続的に行う事が出来た。
そして第7回大会には、阪神タイガースやMLBオークランド・アスレチックスで活躍した、藪恵一氏が指導で現地を訪れ、第8回大会は、コロナ禍の影響で日本人の支援なしすべて現地の人々の手で開催されたとても意義のある大会となった。

そして今年、2021年は9回目の開催を迎える。
今年は8チーム、約200人の選手が参加する予定となっているそうだ。
そんな中飛び込んできた、松井秀喜氏のニュース。
今大会で実現するかは分からないが、オンラインでの指導や、将来的には現地にて直接指導する可能性もあることから、この大会が、過去大会も含めタンザニア野球界の大きな成長の場となっていると言えるだろう。

私が思うタンザニア野球のこれから

私がタンザニア野球を見て最初に感じたことは、想像よりレベルが高いこと、システム化がなされている事だ。システム化というのは、選手や指導者の育成法や組織の運営がある程度確立されているという事だ。

あまり知識のない私が言うのは大変失礼になるのだが、野球途上国への印象は、このシステムが上手く構築出来ていない点だ。
例えばJICAボランティア隊員が野球指導の任期を終えて帰国してしまうと、活動が止まってしまう。指導の仕方が分からない。練習する人が集まらない。それに対して連盟も動かない。等、主導する人物がいなくなると何も出来なくなってしまう事だ。
特に創成期にはどこの国にも同じような問題があったのではないかと、推測する。タンザニアにはその停滞感を感じなかったのだ。

2012年に産声を上げたばかりのタンザニア野球だが、今では友成氏の教え子が指導者として既に活動している他、選手だけでなく審判の育成もなされていた。こうした事が、昨年のタンザニア甲子園の成功にも繋がったのではないか。
また、当初からタンザニア政府の協力を得た事もあり、野球連盟も早くに設立された。
これは友成氏のガーナでの経験が生きているという。
タンザニア野球は日本人が支援するものの、将来的に日本人に頼らない「自分たちが次に伝えていく」というシステムを作ることが当初から想定されていたのだろう。

タンザニア野球連盟は、野球をサッカーに次ぐ2番目に人気のあるスポーツにしたいと意気込んでいる。そして2021年は、現在2000人いるプレイヤーを10000人にまで増やすことを目標としている。(www.wbsc.org

一方で、聞くところによると意気込みはあるものの、まだ日本に頼ることが多いと言う。
また、日本人から見ると少しルーズなお国柄にも見える(時間や納期を守れない等、現に我が家も家の補修を頼み、明日行くと言って来なかった事が何度か…)。そう言った事は、サポートする日本人の方が苦労する面だと思う。
しかしその反面、優しく親切な方が多いのもこの国の特性だ。このような部分と、3つのスローガン(規律、尊重、正義)や、礼を重んじる日本の野球は、マッチしているのではないだろうか。

タンザニア野球は野球×教育で急速に広がっていった。つまり競技人口も増えるという事だ。競技人口が増えれば、才能ある子供たちを多く見つけられる可能性がある。
そうなってくると競技レベルが向上するのも、比較的早いのではないだろうか。

タンザニア代表経験もあるアリー・ハンダム選手は「日本でプレーしたい」と言った。こう言った向上心の高い選手がこれからもっと出てくれば、球界は一機に活性化するだろう。そしてJ-ABSは松井秀喜氏の協力も得て、広く周知させる手段も得た。
これは我々のような人間には出来ない手段だ。これは今まで届かなかった人たちにも、アフリカ野球の現状が耳に入るようになるかもしれない。

日本の野球ファンの支援があれば、タンザニアだけでなく、アフリカの野球界が活気づく。
そうなればタンザニア野球連盟の目指す、2028年ロサンゼルスオリンピックでの野球復活、そしてオリンピック出場に近づけるだろう。
我々ファンの力が重なり、大きな力になる日が必ず来ると信じている。

タンザニア野球界は、J-ABSのアフリカ55甲子園プロジェクトの先駆けとして、人材教育と相乗し、既に9回の大会開催を迎えようとしている。このモデルケースが果たす役割は、これからアフリカ球界の中でも大きくなるのではないか。
タンザニア野球が、これからのアフリカ野球の中心になっていくことも、可能ではないだろうか。

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